共産中国の天下で大乱はありえない?

大紀元】『張三一言:共産中国的天下不会大乱?』


 【大紀元11月15日訊】最近流行している政治の話題の一つが“共産中国の天下で大乱はありうるか?”である。


 私は少なくとも明らかにこの5,6年以内にはありえないと考えている。その理由は次の通り。

 
 理由1:共産党は人民が反乱することを認めないし、また反乱するのを制止する能力もある。
人々は言うかもしれない、反乱を許すのと実際反乱が起きるのは同じことではない、と。もしくは、許さなくても他の人が反乱しようとするのを制止することができない、と。問題は党には反乱を制止する能力もあり、方法もあるということだ。現在はまだ反乱の条件がない、ということは五十数年の歴史と今日天下泰平の事実がすでに証明している。


 党は実際には階級闘争の哲学と実践を放棄しているけれども、暴力で弾圧し安定を図り権力を掌握する真髄はすでに統治の智恵や伝統となって完全に残しており、且つまた実践中でもある。毛沢東が党内外の敵を鎮圧し、訒小平が89年に虐殺を行い、江沢民法輪功を弾圧したことは、党からいえば成功した好ましい経験であり、胡温体制も当然それを継承している。さらに胡はチベットを弾圧した経験もあり、暴力で弾圧する伝統が続いているのは当たり前のことである。


 党の暴力的弾圧はすでに毛沢東時代とは同じではなく、訒小平に比べてもかなり進歩しており、現在は暴力統治の精密化時代だと言える。
精密化が意味しているのは民衆弾圧の専門化であり、現代化である。


 体制は民衆弾圧のための専門部隊として武装警察を設立しており、元々からある党・軍・公安を加えれば、弾圧能力においては古今東西右に出るものはいない。他のものとは異なり、その弾圧手段は完全に徹底的に不安定主体をきれいさっぱりと消滅させ、さらに先んじて人を制し萌芽状態のまま消滅させるため安定を維持しているのである。五十数年来この手段は成功をもたらしており、少なくとも今日までの事実はこのことを証明している。


 精密化は異分子弾圧の“法制化”やマフィア化にも現れている。大陸の“法制”は二つの意味があり、人を騙すための好ましい話と実行のためのあいまいな話である。好ましい話は憲法に羅列されている人民の権利や司法の独立、陳情等々であり、実行のはたとえば憲法の権利を帳消しにするデモ管理条例、団体登録法、転覆法……。前者は人を麻酔させるためのものであり、後者は人を嚇かし窒息させるためのものである。


 反革命の変種に援用される国家転覆罪や機密漏洩罪などのほか、すでに民事法によって政治事件(大抵は言いがかりだが)を処理する方法が普通に使われるようになった―売春罪は十八番の芸のひとつである。マフィアを使って非合法に人を捕まえたり、強制的に他の地に追い払う、脅迫、殴打……等はもはや恒例行事である。現在ますます増えているのは直接マフィアを利用して異分子に対抗させることである。


 これらにより、党が許さなければ反乱もできないのである。


 理由2:民衆がまだ反乱を考えていない。


 暴力とうそが現在なお有効に役に立っているとは言え、同じく使われているのが人々をして党に問題の解決を信じさせ、期待させることである。救世主を期待し、明君を望み、包青天を望むのが今日の大陸人の政治で取る態度の主流である。四川省漢源水力ダムの農民抗議暴動事件で村民たちが現場で掲げたスローガンは“中華人民共和国万歳!”“中国共産党万歳!”“ダムを作ることは、漢源県を繁栄させる”などの内容を含んでいた。聞くところによると11月5日張学忠が状況を理解しに大樹郷に向かったとき、当地の村民がそれを知った後その一行を取り囲み、彼の周囲に跪いて彼に現状を理解してくれるように頼んだ、という。弾圧と慰撫が共に行われたあとも、当地の人いわく「現在人々はみな中央の言うことを聞く」と。これはもちろんある種のいかんともしがたさの表れではあるが、多くの場合これらの人々はいまだに党中央(と地方官員)を民の父母、もしくは希望を寄せることのできる救世主、明君、包青天と見ているのだ。人民は幹部の多少の慰撫を得ればすぐに満足する。このことは人々が「党ではない」「党から離れる」思想や、ましては党に反対することをあれこれ論じたりすることから程遠いことを繰り返し示している。これはつまり、大陸の民情と政治時勢が始皇帝に反乱した陳勝呉広がやがて項羽を生み出したように民衆の大規模な反乱が新しい国家を作り出す状況を育てていく土壌や気候からは程遠いということでもある。暴力とうそは大陸の民衆に対して有用であるだけでなく、海外華人や、外国人に対してすら役に立っている。多維の如く、一方ではうそを拒絶すると公言し、彼も党の御用メディアがうそを作り出していることを明らかに知っており認めているが、しかし彼はやはり党のうそを流そうとしている、一方の見方を伝えるのだ、という言い方で。


 人に対する思想統制はすでに自由自在のレベルにまで到った。現在党は大体において全国の人に党が人に知らせようとすることを知らせることができ、党の思考パターンで考えさせ、人々に党が予期しているのと一致する結論を出させる。われわれはこのような事実を必ず認めなければならない、すべての外国メディアは犬の穴に入っていくようなものであり、もともとは人のメディアも犬の穴に入れば必ず狆になってしまうことを。Yahoo、google、すべての香港・外国メディアもひとたび大陸に入れば変種する。


 国内の人間が党に反対することを思わないだけでなく、海外華人も多数が党に反対しようと思わず、現在一部の外国の自由で民主的なメディアですら共産主義に反対しようと思わない。


 人々が余り注意していないかもしれないのは、党の民衆の動態への反応能力が強く臨機応変で柔軟性に富んでいることである。強さというのは現在胡の弾圧力量は毛訒江に比べ大きくまた普遍的である。党は一方で「理性から外れた弾圧と可能な交代力量、展望の封殺が人々をますます平和的に問題を解決する可能性を信じなくさせ、従って抵抗闘争で解決を勝ち取ることを選択し、鬱憤を晴らし迫害に報復する。(王軍涛)」だが、一旦民衆が「抵抗闘争で解決を勝ち取ることを選択し、鬱憤を晴らし迫害に報復する」時が来ると、党はまたも臨機応変さと柔軟さを示し、譲歩しながら慰撫を進めることができる。たとえば今回の漢源騒乱の際、党の定性は“真相不明の移民が大規模に集まった事件”であり、かつ先に移民問題を解決してから工事を再開するという民心安定の告示を出した。この種の言行は6・4の時に比べかなり“理性的”で“文明的”である。この過程で“災い転じて福とす”党が民衆を愛し、党が一貫して光栄、偉大、正確である証明だと大いに宣伝した。沙士事件、張志剛事件、漢源事件はみなこの例証である。このような人民がどうして天下の大乱を起こすことができようか! 明らかに中共は生死の瀬戸際には理性的なのである。それゆえ「(もし)問題が悪化し続け、抵抗が発展し続けるなら、中国は天下大乱となる(王軍涛)」という予想は現実とは距離がある。


 以上が私が“事実”から、かつ常識と論理を推し進めて得られた結論である。


 だが、少なくと明らかにも5,6年内には天下大乱があり得ないと認識していると同時に、私は明日天下大乱が起きないと軽軽しく否定することもできない。理由は以下の通り。


 理由1:党が民衆を反乱させる


 ただし、これは多かれ少なかれ「全国の人に党が人に知らせようとすることを知らせることができ、党の思考パターンで考えさせ、人々に党が予期しているのと一致する結論を出させる」という“事実”と結論に基づく――この“事実”と人々が自ら目にする腐敗の日々の多さ、社会の不公平と不正義の日々の多さ、社会民衆の積怨の日々の多さ、動乱や公開抗議の日々の多さ、普遍さと強烈さ……の事実と符合していない!


 もし上で述べた“事実”と結論が成立するとすれば、この“事実”と符合する独裁国家は多く、特に以前の共産国家は大体これと似通っているが、だが結論は同じではない――これらは一つ一つ滅亡したから。ある評論家が述べたことがある――独裁政権がまだ倒れないとき、人々はこの政権が倒れうることを想像すらできなかったが、この政権が突然倒壊したのち、人々はまた不思議に思うかもしれない、この政権がなぜこんなに長く維持されたのだろうか、と。現在多くの中国人が中共が永遠に青春を保ち、少なくとも200年の命はあると信じている。だが、旧ソ連東欧の人は理解できない、なぜあれらいくつかの共産政権は倒れないのだろうか?と。


 現在共産集団は早くから意識形態の支柱を失ってしまい、それに取って代わったのが利益を山分けし、その権力を維持することである。山分け集団は政治エリート、経済エリートと知識エリートからなる利益同盟である。その主流の意識は消滅、なかんずく動乱発生の主体を事前に消滅させることである。すべてのメディア上で問題を理性的に討論することを弾圧もしくは禁止し、理性の異端を消滅させ、平和的に問題を解決するための出口をふさいでしまい、合法の陳情も厳しく取り締まる!すべての統治集団が民間と問題を理性的平和的に討論する道を塞いでしまい、人民に暴力が唯一の解決方法だと信じるまでに追い込む――陳勝呉広の乱が劉邦項羽の事を起こすにあたって適した土壌と気候を作り出したように。これはまだ問題の厳しい一面に過ぎない。もう一つの面は現代文明中の自由・民主・人権・法治思想が徐々に民間で立場を得て優勢になりつつあることである。もちろん党の言葉で教え身でもって教え指導し模範を示すもとで、全民衆も金しか見ていないが、しかし“道理”の面に到れば人々が持っている道理の根拠はマルクス・レーニン主義毛沢東思想ではすでになく、党の指導や階級闘争でもなく、現代文明のものである。経済方面では、みっともない権力と金の交換などの腐敗行為を除いて、公開でさらに影響を及ぼしているのは西方の自由経済の法規である。政治領域では法律界に奇異な現象が現れている――法律行為は一党独裁だが、法律理論は自由民主主義のものである。社会で人間関係の判定は多くは現代文明思想による“話す権利”が行使される。党のもともと持っていた意識形態は容喙した地位ではない。官民の関係は、官は仕方なく現代文明で装わざるを得なくなっているが、そのもともとの意識形態は徐々に人々から人前に出ることのできない醜い物として見られるようになった。すなわち、党民の関係で党は意識上・政治上・道徳上ですべて受身の地位に置かれている。ただしこの装いは突如その現時点の行為の不義と罪悪を現わすことになる。考えても見よ、道理もなく、道徳もなく、公義もなく、信用もない醜悪な形象、人から憎まれる権勢が道理もあり、道徳もあり、公義もある民衆を長期にわたって制御することができるかどうか?


 この種の状態の客観的効果は、一つの醜悪体は公義を手に持っている民衆がそれに反抗するのを不断に促進することである。


 理由2:民衆は反乱するしかない


 現在の実情は、経済の離陸が党に強力な興奮剤を飲ませたかの如くあのように高ぶり続けたまま休めず、彼らに発展が人心を買収し安定を得る霊薬だと盲信させていることである。彼らは高速に発展する経済と暴力弾圧が政権を永久に保つ唯一の魔法の杖だと固く信じているのだ。それゆえ彼らは不公正がますます民衆利益との対立・衝突を増やすことになることを重視せず、ますます民衆の不満が大きくなることになることを無視している。その結果の必然は国内で統治集団と民間との一切の問題の平和的解決の道を失わせ、もうひとつの発展の可能な空間を希求させることになる。それはふたたび善良で温厚、かつ奴隷性のある民衆を平和的理性的な問題の解決に対し信頼を無くさせる。劉邦項羽に従って行くしか他に道はない。大衆蜂起、暴力的対抗が唯一の問題解決の方法となる。天下大乱を引き起こす主原因は造反者の側ではなく、統治者の勝手気ままな振る舞いにある。官が圧迫すれば民は反抗する、反抗しないわけにはいかない。


 近い将来、つまるところ共産中国に天下大乱が起きるのか? 時間に証明させようではないか。


http://www.epochtimes.com/gb/4/11/15/n717772.htm