劉暁波:「底流」ではなく「バブル」(上)続き

 「底流」という言葉で中国の民族主義思潮を描き出すことは、私は不正確だと思う。事実上、強大な「華夏中心」の伝統を持っていた中国で、百数十年の近代化の過程も、常に強大な民族主義の要求を伴っていた。洋務派の「中体西用」、維新派の「立憲救国」、孫中山の「駆逐韃虜」、毛沢東の「反帝反修」など、民族主義思潮は今まで「底流」であったどころか、常に屈辱と傲慢に由来した大声で煽動するところの「高波」であった。20世紀初めの「西洋化」と「反伝統」の新文化啓蒙運動「五四」も、その影響は「抵抗外辱」と「反帝」の愛国主義運動の「五四」に遠く及ばない。80年代初めの文化大論争のなかで、『河殤』は「藍色文明」ブームの波を起こしたが、女子バレーの5回連続優勝が起こした「振興中華」の大波に遥かに及ばなかった。つまり、民族主義思潮の氾濫は、完全には天安門事件以降の変化ではなく、80年代にすでにその勃興が始まりかつすべての領域で浸透した。たとえば、文化界の「ルーツ探しブーム」や大衆の「気功ブーム」、さらに「女子バレーブーム」は大学生に民族復興の激情を煽った。大衆文化の領域では、民族主義熱狂の表現は90年代に決して劣らず、「雄獅猛醒」と「巨龍騰飛」は最も流行の大衆文化の主題となっていた。ドラマ『霍元甲』の主題歌「百年の眠りから、中国人はついに目覚めた」や、『龍の継承者』や『私の中国心』などは、みな舞台や街中で高らかに鳴り響いていた。「中華の武芸は天下無敵」の神話も、時代劇ドラマと弱智武芸小説が大挙して北に入ってくるに従い、若者の主な読み物となった。若い世代の目には、絶技神業を持つ大武芸者は新たなアイドルとなって、武芸継承の神秘と殺し合いの陰謀も最も深遠な東方の知恵と映り、あたかも森羅万象の摂理を含んでいるかのごとくである。


 ただ、80年代の民族主義は、まだ話の支配権に絶対的に君臨する程度までには発展しておらず、それと共に自由化と西洋化の思潮と平行していた。


 愛国主義という言葉の、道義合法性において占める優勢な地位を最もよく説明しうる事例は、89年の運動中の矛盾した形象――一面では西洋式の自由と民主を勝ち取り、他面では愛国の旗を高らかに挙げた――が一番よい。公平に論ずれば、反腐敗・民主獲得を主な政治要求とした自然発生的な89年の運動は、その思想根源は西洋の自由・民主概念の啓蒙からきており、その合法性の来源は「憲法」が明示している各種の公民の権利であったわけで、愛国主義とは関係がない。しかし、学生運動が合法的な保護を求めた動機から出たのでもよいし、はたまた長期に渡り型にはめられた集団の潜在意識が流れ出したことを怪しむのでもよいが、民族主義のもっとも強い形態である愛国主義が、89年運動の政治潮流によって用いられ、「愛国的」この一語がすべての行為の合法性の来源となった。学生たちは自らが街に出ることを純正の愛国行動と称したし、いわゆる「愛国は無罪だ!」「愛国は動乱ではない!」「母なる祖国よ、あなたに……」などのスローガンもまた然り。今に至るまで、89年運動に話が及べば、最もよく使われる言い方はやはり「愛国民主運動」であり、愛国の価値と合法性はやはり自由民主より上におかれている。


 当局について見れば、もちろん学生に同情した開明派であれ、もしくは学生を嫌がった強硬派であれ、同じく「愛国主義」を最も有力な道義合法性とした。趙紫陽などの舞台に上がった開明派は、学生運動のため、もしくは自らを弁護する時、学生たちは「愛国的」であり、たとえ過激なところがあったとしても、了解できる、と例外なく強調した。だから、この種の単純な愛国熱情にはうまく対応しなければならず、我慢強く愛国激情を民主と法制の軌道に引き上げるように導かなければならない、と。それに対し李鵬などの強硬派も、毎回の公開発言中に繰り返し強調した:大多数の学生は愛国的である、ただしお前たちはまだ若すぎ、愛国の熱情も別の意図を持った人間に簡単に利用される、事実上すでに一握りの陰謀家たちの魔の手によって操縦され利用されているので、これらとの限界をはっきりさせなければ、愛国の反面に至ってしまうだろう、と。


 このことからも愛国主義もしくは民族主義は、たとえ開放以後の中国においても、証明する必要のない真理性と道義性を持っており、いかなる人も敢えてなんらの疑いを差し挟まない、もしくは何の疑いも思いつかないのである。


 2004年11月14日 北京の家にて

http://www.epochtimes.com/gb/4/11/17/n719976.htm