劉暁波:「底流」ではなく「バブル」(下)

 『大紀元』(http://www.epochtimes.com/gb/ncnews.htm)より


 (劉暁波:不是「潜流」而是「泡沫」(下)――推荐《潜流:対狭隘民族主義的批判与反思》)

 【大紀元11月19日訊】しかし、ずるいことには、不断に煽られている「高波」の民族主義思潮も、一旦真剣勝負の現実に出会うと、たちまちつばの泡のような「小ささ」を露呈する。伝統的な家族=国家の一体化と現代の党=国家の一体化は、中国式の民族主義を最終的には政権を愛することに帰着させてしまう。「皇帝とその一家の天下を愛すること」と「指導者とその党の天下を愛すること」が、最大の愛国なのである。それゆえ、チンギス・ハーンの騎馬軍が中原に入ったときや清の兵隊が山海関を破ったときであれ、もしくは列強が円明園を燃やしたときや日本人が満洲国を建国したときであれ、外国の強敵が中国に侵入し、皆が一致して敵を憎まなければならないとき、中国人の愛国はますます犬儒化し陰謀化し、口先の愛国巨人も瞬く間にただの「良民」になってしまう。さらに鍵となるのは、多くの場合野心を抱く政客がその機に乗じて内乱を引き起こし乱の中で政権を奪取することである。このため、「外敵を討つときはまず先に国内を安定させる」ことは必然的に政権の一貫した政策となる。中国の愛国教育の中で列挙されている愛国の名将を見てみるがよい、そこには奸臣によって殺された抗金の英雄岳飛がおり、また軟禁された抗日英雄の敗将張学良もいるだろう。もとから帝王の志のあった野心家の毛沢東が、延安の灯油ランプから中華の紅い太陽になったのは、彼が外敵には実力を保存し内敵には徹底的に追撃する権力奪取の策略を弄することに長けていたからであり、アメリカは第二次世界大戦時に中国を助けて日本侵略者を追い出せても、内戦中に蒋介石を助けて毛沢東を破ることはできなかった。


 90年代中期以降、国力軍力の持続した増強と国際地位の不断の上昇に従い、民族主義に導かれた国家主義も日増しに高まり、苦しみを口にする防御性から家の前で怒鳴りあう攻撃性に発展して、反米反日反台湾独立が民族主義の三つのはけ口となり、大国外交、アメリカを超えることと偉大な中国の復興が民族主義の三大目標となった。そこで、国内外で一部の人は心配して、現在の中国はファシズム国家に変質するすべての要素を備えており、経済の高度発展、日増しに増強する国力軍力、権勢者の資本主義、独裁政治……すべてがますますひどくなる民族主義情緒を容認しており、中国はファシズムに向かいつつある、と指摘している。


 しかるに、私も中国の民族主義思潮が行動でのファシズムに発展するに足ると考えている。なぜなら、独裁制度のもと、民族主義思潮がファシズムに発展するには「硬い」実力と「柔らかい」魔力の二つの支柱を必要とする。「硬い」実力とは迅速に上昇する国力軍力と国際地位であり、「柔らかい」魔力とは民族主義自身の幻覚作用だけでなく、必ず以下の条件を満足させなければならない。1、絶対多数の国民が小集団や個人の利益を放棄し、無条件で国家利益もしくは民族利益の優先性を認める。2、イデオロギーの注入を通して世界覇権の野心を持続強化し、国民を世界に君臨するという神話のなかに落とし込まなければならない。3、魅力的な救世主が現れ、彼が人々の大脳と行動を左右する独裁者としての能力を持ち、同時に国家利益と民族利益の化身として塑像され、最後に民衆に対し夢幻の麻酔作用を及ぼす全社会のトーテムとなる時、全民族の熱狂的な忠誠を勝ち取ることができる。この場合にのみ、彼は上から下まで極端な危険を煽動でき、侵略性の集団意識を与えることができる。


(続く)